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 ニューヨークは外国?

更新日時:

2005/02/26 

 世界中の人々を震撼とさせた9.11同時多発テロ。今もあの生々しい映像が頭に焼き付いて離れない人は多いのではないだろうか。特に、世界の警官を自認するアメリカ人にとって、あの衝撃は、計り知れないものがあったようだ。何しろ、アメリカ本土が攻撃されたのは南北戦争以来のこと。アメリカのニュースが繰り返す、「パールハーバーの再来」は、日本人にとっては誠に居心地の悪いフレーズではあるが、彼らにとっては致し方ないのであった。アメリカ人にとっての戦争とは「自国のために自国でする」ものではなく「相手方の国に行って相手を懲らしめる、或いは助ける」ためにやるものなのであるから。しかし、このエッセイでは戦争論を展開することが主旨ではないので、これ以上の私の見解は省く。

 

 テロの直後、我が家にも数多くの日本人の親戚、友人知人からお見舞いの電話やメールをいただいた。ありがたいことである。そして必ず聞かれたのは、

「どなたかご家族やご親戚はいらっしゃいませんでしたか?」 

「う~ん。」 PAULは暫し考える。そして突然叫んだ。

「一人いた!友達のお兄さんの友達だ。」

 

あの~、それは知人とは言わないのだよ・・・。

しかしPAULの顔は至極まじめだ。それくらい彼にとっては知らない町なのである。

 

 大半の日本人のイメージするアメリカとは、ニューヨークとかハリウッドなどの華やかな大都会かもしれないが、ほとんどのアメリカ人は広大な田舎に住む、偉大なる田舎の人だ。ニューヨークなど行ったこともなければ行きたくもない。あそこは変わりものが住むごみごみせかせかした居心地の悪い場所だ。(住んでいる方、失礼。私が言ったわけではありませ~ん。)彼らにとって、ニューヨーカーは紛れもないエイリアンなのである。

 

 ところで、私が今回気がついたこと、それはもしかしたら日本人の方がニューヨークは身近な場所なのかもしれないということである。

「私の元上司があのビルで働いていた。」

「2週間前、旅行であそこを通ったばかり。」

「昔あそこに住んでいた。」

お見舞いの電話をくれた人たちにこそ、私たちはお見舞いのことばを述べなければいけないのであった。

 

 英会話のクラスで、ニューヨークのお店やレストランの話題で盛り上がる生徒たちをよそに「いつかきっと行こう。」と、実は一度も訪れたことのないPAULは密かに誓う今日この頃である。

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