国境付近のメキシコの町
フェニックスから車で3時間半の距離にその町はあった。一応メキシコではあるが、ドルが普通に使用できる、アメリカ人の買い物客目当ての店ばかりが並んでいるアメリカ人のための町である。
ここには信じられないほどの薄い壁を隔てて、天と地ほどの貧富の差のある2つの国が隣り合わせで存在している。しかし、アメリカ側の町もすでに半分はメキシコだ。至る所にメキシコ人がおり、どのお店にもスペイン語の張り紙が貼られている。ファーストフードの店の売り子は全てバイリンガル、私もトイレの清掃人からスペイン語で何事かをまくし立てられた。
私たちの車は当然のごとくアメリカ側の駐車場に置いていく。それが一番安全なのである。歩いて渡るアメリカからメキシコへの越境はフリーパス。アメリカからメキシコへの不法入国者は皆無だからだろう。「行きはよいよい帰りは怖い」だったら困るなあと、外国人の私はちょっと緊張。
最初に訪問した1昨年、普通では買わないような値段でガムを売りつけようとしたり、雨なのに靴を磨かせろとしつこく付いて来る子供たちに、私は悲しみと憤りを覚えたものだった。学校に行かせてもらえずに働かされていると思ったのだ。しかし、翌年、再びこの地を訪れ、それが私の誤解だったことが判明した。あの時はただ夏休みだっただけだったのだ。それが証拠に今回は一人も外では子供を見かけず、代わりに学校の庭でたくさんの子供たちを見たのである。
ここに来るアメリカ人の主な目的は薬を買うことだ。違法のドラッグのことではない。普通の医薬品である。なぜならアメリカは保険も医薬品もべらぼうに高く、メキシコでは同じ薬が、処方箋なしでかなり安く買えるのである。道理で年配者の団体が多いわけだ。
もちろん、日本に住んでいて、国民保険のお世話になっている私たちに、医薬品は必要ない。私たちの旅の目的は、おいしいメキシコ料理と、私の訪問国を1つ増やすこと(ちょっといんちきくさいが。でもこれで20カ国超えたぞ。)、そして今回はPAULのバイク用皮ジャンだ。いい皮製品もあるが、粗悪品もぼったくりも何でもありの町をかなり慎重に歩き回った結果、私たちはとうとう満足のいく物を手に入れることができた。最近はPAULの日本語が上達したお陰で、「この店、偽ブランド品ばかりでやばいよ。早く出よう。」などの店の人に聞かれたくない会話が声をひそめなくてもできるようになったのもありがたい。でも、突然「こんにちは。」と言われたりするので油断は禁物だが。
レストランは去年と同じ店。アメリカのメキシコ料理とは一味も二味も違う、私たちのお気に入りの店だ。実は何を隠そう、私とPAULは昨年開店したこの店の客第1号であったのだ。
帰り、アメリカ側の入国審査室の前を通過する。審査官は私のパスポートに貼られているアメリカ入国時のビザ免除の入国カードの日にちを念入りにチェックし、パスポートもスキャンする。無事通過。そしてPAULの番。彼は何も見せず、ただ一言、「U.S」。なんとそれでフリーパス。どうしてアメリカ人だとわかるんだ~。今度私も言ってみようかしら。
メキシコからの帰り道、30分ほど走ったところで、不法入国者を取り締まる移民捜査官の車が通りすぎ、窓から質問を受ける。PAULが「私はUS市民、彼女は日本人」と答えたら、「あっそう」という感じであっという間に通り過ぎていった。日本人に生まれたことも感謝しなくちゃね。