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ルクセンブルグへのバスツアーで英雄になった(ベルギー・ブリュッセル)

 ブリュッセル最後の日は日曜日だった。お店はすべて閉まっているし、もう観光したいところはすべて行ったので、ルクセンブルグまでの1日ツアーに参加することにした。

 

 ツアーバスの中で日本人は私一人。しかし仕事で来ていると思われるアジア人の一行が乗っていた。

 

 ヨーロッパのツアーガイドは5ヶ国語くらいは平気で話す。しかしこの一行は一人を除き、どのことばもわからなかった。当然、ガイドの話は聞かない。最前席を陣取りながら、身内同士でなにやらうるさくしゃべっている。当然、車内でひんしゅくを買っているのだが、当人たちは、全く気がついていない。

 

 私は偶然彼らの近くに座っていた。ガイドが言う。「今日は○○国の人が8人乗っていますけど、○○国の大使館はそこです。」しかし彼らは誰も窓の外を見ようとしない。理解できないのだから当たり前か。そこで私はふっと気がついた。8人?えっ7人だよ。

ってことは私も○○人?

 

 そうか私も仲間に思われているのか。ふと後ろを見ると敵意の視線の塊が。彼らはうるさい。ガイドの話しが全く聞こえない。せっかくのバケーションが台無し。ニューヨークから来た年配の女性二人組は、出発前、わざわざ自分たちの席の窓をスタッフに拭かせてきれいにしてもらっていたのに、その席をとうとう放棄して後部席に移ってしまった。実はガイドは1階席にいる。乗客は全員2階席だ。注意できないのだ。

 

 知らない人に注意をするというのは勇気のいることだ。逆切れされるかもしれないのだ。しかも相手は大勢、私は一人。観光バスなので夕方まで一緒にいなければならない。私は思い悩む。しかし、彼らは我慢できないくらいうるさい。お金を払ってなぜ私たちは、こんな嫌な思いをしなければいけないのだ?

 

 私はとうとう決心した。いざとなれば後部席にいる全員が私の味方だ。おもむろに最善席に向かった。英語を話す人が一人いるのはわかっている。「エクスキューズミー」と話しかけた。「ガイドがしゃべっている時は静かにしてもらえませんか?」

 

 席に戻ったとき、車内中の視線が私に集中しているのがわかった。彼らの仲間ではないというみなの誤解を解いたと共に、私は一気に英雄になったのだ。

 

 その直後の休憩の時、私は人気者だった。「ありがとう。私もブリュッセルに戻ってからガイドに文句言おうと思ってたのよ。」アメリカ人が言う。戻ってからじゃ遅いんだってば!ガイドも言う。「あなた○○人じゃなかったのね。」○○人の通訳もやって来た。「すみません。ご迷惑おかけして。皆ことばがわからないんです。」

 

 一人旅の私であったが、あれから食事の時も休憩の時も他の観光客に声をかけてもらえ、ひとりぼっちになることはけっしてなかった。

 

 ○○人の通訳は、それから車内中の人に話しかけて友好を深める努力をしていた。そしてあれからすべての○○人が、静かになったことを、彼らの名誉のために付け加えておく。

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