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子供と英語

 私の甥が4歳くらいの頃、PAULと一緒に昆虫の絵本を見ていたことがあった。PAULが言う。「これはbutterflyだよ。すかさず甥が「違う!ちょうちょ!」と叫ぶ。

 なおもめげずに続けるPAUL。「a dragonfly」「ちがう。とんぼだってば。」可笑しそうに笑う甥っこ。しかしここでちょっとしたハプニングが起こった。甥はカブトムシの名前がわからなかったのだ。「a beetle」とのPAULのことばに「a beetle?」と思わず繰り返してしまった甥。その発音のいいことといったら!彼は決してビートルとは言わなかった。ビートルということばを知らないから当たり前と言えば当たり前だが。特に途中のt のサウンドがすばらしかった。けっしてティーではない、d の音だ。(注:あくまでもAmerican Englishの発音であってBritishは違います。)大人の生徒はいくらPAULがbeetleと発音してもビートルと繰り返す。耳が固まってしまっているのとtはティーしかないとの思い込みが聞き取りを邪魔するのだろう。先入観なく聞き取れる子供が実にうらやましい。

 

 我がスクールの子供の生徒たちも同じだ。まだ習って1ヶ月しかたっていない園児が母親の発音を「ママ違うよ。」と直したそうだ。「ホワッツ イズ イツ?」「イエス イティ イズ」などと発音する小学生はうちには一人もいない。

 

 よく本などでは「ジャパニーズイングリッシュに臆することなく思いっきりしゃべろう。」とか「他の国の人は癖のあるアクセントを気にしていない。」と書かれている。それはある意味で正論だ。日本人だからアクセントがあるのは当たり前だ。恥ずかしがる必要はけっしてない。でも、通じなかったら何もならない。聞きづらいからと聞いてくれない人がいるのも事実。(そんな人は相手にしなければいいのだが。)そして以外に簡単なことばが通じないのだ。私も苦い経験がたくさんある。「pen pal」とか「twelve」が通じなかった時はけっこうショックだった。

 

 もう6年くらい前、中学生の生徒が私に「PAUL先生の前ではちゃんと発音するけど学校ではからかわれるから皆に合わせてジャパニーズイングリッシュで通している。」と、英語の発音を使い分けていることを打明けた。しかし最近では帰国子女や英語を習っている子供が多くなってきたため、そんな「工作」をする必要はなくなったという話もチラと聞いたことがある。本当なら実にいい傾向である。

 

 子供の時から英語をやる意義。それはやっぱりコミュニケーションの手段としての英語に親しむということ。英語を英語のまま頭に入れるということ、耳を英語に慣らすということに尽きるのではないかなあ。文部科学省に私は言いたい。小学校で間違えた方法で英語を教え、評価の対象にしてしまって早い時代から英語嫌いを増やさないでほしい。文法の理屈なんて大人になってからいくらでも勉強できるのだから。

 

 

update:

2004/10/12

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