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お宅訪問(イスタンブールとイズミール・トルコ)

私が友人と二人でトルコに行ったのは、まだ、それほどブームになっていた時ではなく、ガイドブックもあまり無かった頃だ。そのトルコで私たちは2件の「お宅訪問」をした。

 

 一軒目は地方の観光都市の美術館の中で出会った監視員の9歳の男の子の家。なぜか私たちにまとわりつき「ヒロシマ、ナガサキ、アメリカ、ズドーン」などと言いながら、彫刻の説明をしてくれる。もちろんトルコ語を知らない私たちには全く助けにはならないが。そして彼の父が出てきて、いろいろ親切にしてもらった上、なぜか彼らの家に招待されてしまったのだ。

 

 父親はまだ仕事中なので男の子が先に家に案内してくれることになった。彼は大変得意そうに、私たちを近所の子たちに見せびらかすように歩いていく。

 

 彼の家は3階立ての近代的な家だ。見知らぬ外国の女性が二人現れても母親と祖母は驚きもせず(この家では、よくあることなのかも。)、私たちをまずベランダに招き入れた。そして、全員でニコニコしながら、しかし無言のまま、外をしばし眺めていた。私と友人もニコニコしながら一緒に外を見ているしかなかった。「いつまでここにいなければいけないのだろう。日に焼けるんだけどな。」と思いながら。

 

 父が若い夫婦(この家族との関係が不明。ことばが通じないんだもの。娘夫婦かな?)を連れて戻ってきた。祖父もいるので大所帯だ。私たちは日も暮れてきたので、ようやく家の中に入れてもらった。そして台所を始め、寝室、居間などの家の中を案内してくれる。けっこう立派なお宅だ。

 

 会話は英語トルコ語会話集で必要なところを指すという原始的なもの。チャイ、トルココーヒー、水をご馳走になって2時間後くらいに家を辞した。

 

 帰国後、私たちはしばらく手紙のやり取りをした。手紙は誰かに訳してもらったのだろう、打って変わって非常に流暢な英語で書かれていた。

 

 

 もう一軒のお宅はイスタンブール。成田のチェックインカウンターで私たちの前に並んでいた若い女性の家だ。ここで彼女のちょっとしたトラブルを助けたことがきっかけで仲良くなったのだ。

 

 トルコ最後の日。夕方4時頃彼女の家に電話したら、今から来いという。彼女の家はアジア側なのでフェリーとタクシーを乗り継いで行く。知らないところをよく行ったよなあ。彼女も英語が流暢だが大学生の妹も流暢だ。私たちは夕食をご馳走になりながら遅くまでいろいろなことを話した。

 

 ところで彼女の母親はトルココーヒー占いが得意だという。飲み干した後の粉の具合で占うのだ。それによると私は3週間後か3ヵ月後か3年後に結婚するという。当たったら連絡くれとも言われた。ちなみに私が結婚したのは3年と10ヵ月後。これ、当たったといえるのかな?結局連絡はしなかったけど。

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