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日本人は私ひとり(ローマからの日帰りツアー)

 イタリア旅行の最後のイベントはナポリ、ポンペイへの日帰りバスツアーだった。現地のバスツアーなので、日本人はそれほどいないだろうとは覚悟していたが、まさか一人もいないとは思わなかった。単独参加も私だけのようだった。少しだけ不安になる。私は旅慣れていない上に英語が話せないのである。

 

 しかし、不安なのは私だけではなかった。美しいフランス人の添乗員も、英語のできないひとりぼっちの日本人を心配していたようだった。毎回アナウンスをした後は必ず私のところにやって来て、ジェスチャーを交えながら念を押すという作業を繰り返すのである。「ここで15分休憩ね。わかった?15分よ。」というように。

 

 昼食時、添乗員は私を従えて、ツアー客のテーブルを回っては「彼女を仲間に入れてくれる?」と聞いて回った。丸テーブルなので、なかなか空いているところが見つからなかったが、親切にもトルコ人の団体が「ここへどうぞ。」と私を迎え入れてくれた。

 

 ここで恥ずかしながら私は白状しなければならない。実はこの時までトルコを英語で「Turkey」ということを知らなかったのである。しかもトルコ人を見たこともなかったので、何回国名を言われてもどこだか皆目、見当がつかず、彼らをひどく落胆させてしまった。もしかしたらトルコ自体を知らないと思われたのかもしれなかった。トルコは大変な親日国なのである。ようやく彼らの口から「イスタンブール」という地名が出てきて私もトルコ人も救われた。「飛んでイスタンブール」という歌が頭の中で蘇ってきた私は「ああ、イスタンブール!」と叫んだのである。感謝すべきは流行歌。彼らはトルコという国名より、イスタンブールのほうが知名度がある(誤解であるが。)ということに大変興味を持ったようであった。

 

 食事の後も私はトルコ人に何かと親切にしてもらっていた。他の国の人たちも私に興味を持ち、いろいろ話しかけてくれてはいたのだが、なかなか話が通じないので、あきらめられてしまっていたのだ。実は大部分のトルコ人たちも英語が話せない。彼らには独自の通訳がいるのである。私たちは言葉を交わさずに親交を深めていったのだった。

 

 ポンペイでは現地のガイドがツアーバスを待っていた。ガイドは年配の男性で、彼も私を常にそばに置き、特別の配慮をしてくれていた。それでも説明はさっぱりわからないのに変わりはないのだが。

 

 無事すべての観光が終わり、ローマに着いたのは夜10時頃だっただろうか。宿泊ホテルまでは美しいフランス人の添乗員が私一人のために、自家用車で送り届けてくれた。なぜ彼女がイタリアで仕事をしているのか聞けるほどの英語力がなかったのが残念であった。彼女が私に話してくれたことで覚えているのは「イタリア料理はおいしいけど量が多すぎる。」と言ったことと、土産店で私をダンスに誘ったイタリア人の店員を横目で見ながら「あの人は日本人の女性を見るとすぐ誘うのよ。」と顔をしかめながら言ったことだけだ。

 

 この旅を終えてほどなくして私は英会話スクールの門をくぐった。トルコへ向かって出発したのはその2年後のことである。

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