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ピサの斜塔

 フレンツェから列車に乗り私たちはピサの町へと向かった。同行者はこの旅で知り合った、偶然にも同業者の日本人男性のUさん。彼は英語が堪能で、地元の人や旅行者を問わず誰にでも話しかけ友達になってしまうという特技の持ち主だ。当時英語のほとんど出来なかった私に、英語を話せるようになりたいという強い目的意識を持たせてくれたのは他ならぬこのUさんだった。この時の決心が、後の私の人生そのものを変えてしまったといっても過言ではない。本当に感謝している。ま、Uさんについてはこれくらいにして。

 

 駅に着いてから目的地へのバスを探す。行き交う人に「ピサ?」と聞いてみる。考えてみればピサ駅で「ピサ?」はないものだが、この町での旅行者の目的は斜塔しかないのだから、これで十分なのである。果たして斜塔行きのバスはほどなくして見つかり無事乗り込んだ。

 

 しかし、私たちはバスの乗り方を予習していなかった。ここまでの滞在地のミラノでも、ベニスでも、フレンツェでもバスに乗る機会はなかったのである。バスの中を見回してみてもどこにもお金を入れる場所、切符販売機などはない。他の乗客を観察してみると、皆、すでに乗る前から切符を持っていて、自分で印字機に入れている。(変な表現だけど適当な日本語が思いつかない!)どうしようと思っていたら、一人の男性が近づいてきてイタリア語で何か説明してくれるのだが悲しいかな何もわからない。

 

 と、その男性は何を思ったか突然バスから降りてしまい、しばらくしてまた戻ってきた。私たちのために外で切符を買ってきてくれたのだ。感謝してお金を渡そうとすると、首を振ってどうしても受け取ってくれなかった。斜塔までの車中、彼は私たちにピサの歴史について講釈してくれていたようだった。ようだった、というのはイタリア語だったのでまるでわからなかったのである。でも、彼の人柄だけはよくわかった。とてもフレンドリーで親切な人だった。

 

 この旅の1ヵ月後からピサは10年にも及ぶ修復計画のため登れなくなってしまったので、私たちは本当にラッキーだった。(今現在はまた登れるようになった。)高所恐怖症のため途中で登れなくなったUさんを残して私は上まで登った。私はUさんとは反対に高い所が大好きなのである。斜塔は驚いたことに手すりがあまりない。日本では考えられないことだ。Uさんは「落ちた人はいないのか。」と係りの人に聞いていた。返事はよく覚えていないが、確か誤って落ちた人はいないということだったと思う。

 

 さて十分満喫して、そろそろ帰ろうということになった。もう切符をあらかじめ購入するということは学んだので大丈夫、と思ったら、バス停前の自動販売機が壊れていた。ではタバコ屋さんにと思ったらなんと3時までの長い昼休みに入っていてお店は閉まっていた。今は2時。あと1時間!時間をつぶそうにも美術館は定休日。なんという国だ!昼休みにはバスにも乗れないのか!(あ、ちょっと違うか。)

 

 でも考えてみたら別に急いでフレンツェに帰る理由は何もないのだった。都会病に冒されている私たち。私もUさんも数字がめまぐるしく変わる中で一喜一憂して毎日を過ごしている。時には1分判断を誤っただけで数百万円が飛んでしまったこともある。(Uさんは億単位かも。)

この旅が終わればまた戦いが待っている。せめて過去の遺産に養われているこの悠久の町にいる間だけでも時間の枠からはずれてのんびりしよう。私たちは芝生にゆっくりと腰をおろした。

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