言語のスイッチ
たいして英語が上手でない私にも、かつては確かに脳の中に言語のスイッチがあった。そのスイッチは相手の言語によって切り替わった。たとえば、相手がたとえアメリカ人でも、日本語で話しかけてくれば、私の口からは自然に英語が出、日本人が英語で話しかけてくれば(PAULと一緒にいるとよくあることだ。)英語が出るという風に。
しかし、最近はそのスイッチが壊れてしまった。PAULの日本語が上達してきたせいか、はたまた年のせいか。二人での会話が一番ひどい。たとえばセンテンスが英語で始まって、日本語で終わるなどというのは日常茶飯事。英語でしゃべって、最後に「でしょ?」など付けなくて言いことばを付け加えてしまったり。
もっとひどいのはすべての名詞が英語すべてので動詞が日本語という芸当も、やってのける。
一番困ったことは自覚なく使っていることだ。日本人の友人たちと日本語で話していて突然「BUT]などと言ってしまう自分が恥ずかしい。PAULもアメリカの家族との電話で「Please tell me your 携帯 number.」等と気がつかずに言っている。アメリカにいる時は携帯電話を持っていなかった彼の中では「携帯」はあくまでも「携帯」なのだ。
日本にいる外国人が、英語に混ぜてよく使う日本語は、「しょうがない」と「元気」だ。それに変わるちょうどいいことばが見つからないので。「She is super 元気.」などは会話の中でよく聞かれる。
私が見る限り、小さい子供ほどスイッチがしっかりあるように思える。日本にいるバイリンガルの子供たちのスイッチは、しばしば相手の顔(日本人か、外国人か)で切り替わるらしい。知り合いの5歳の男の子は、私がどんなに英語で話しかけても、日本語で返してくる。(私の発音が悪いせいだ、と突っ込まないでください。)「これ jelly-fish みたい。」と言ってから、あわてて「くらげ」と言い直す。英語を解さない人が一人もいなかったにもかかわらず。彼にしてみたら、言語が混ざるのは許されないことらしい。そのくせ、「今度こういう遊びやろうよ。」と日本語で言ってから、突然その遊びの説明が英語になる。この遊びは英語の引き出しにしまってあるのだろう。興味深いことだ。もちろん、これは私のあくまでも、傍からの観察結果であって、バイリンガルを育てた親たちや言語学者には異論はあろうが。
以前、私たち夫婦と日本人の友人夫婦、ドイツ人と日本人の夫婦、ドイツ人と香港人の夫婦が一緒に食事をした時のこと。いいろいろな言語が飛び交い、そのうちわけがわからなくなって、気がつけば、お互い通じないことばをしゃべりあっていた。こんな環境では誰もがスイッチが壊れてしまうのかなあ。
update:
2004/08/26